著者の一人である深井龍之介さんが、僕の大好きな「COTEN RADIO(コテンラジオ)」のパーソナリティなので手に取ってみました。

コテンラジオ同様、今回の本も歴史や哲学などの人文知が、現代社会、特にAI時代にどのような意味を持つのかを考えさせてくれる内容でした。

AI時代に、僕たちは何を学ぶべきなのか

最近、僕自身がよく考えているのが、これから何を学ぶべきなのかということです。

僕は長年IT業界で仕事をしてきましたが、AIの進化によって、これまで専門的な知識や技術が必要だったことが、驚くほど簡単にできるようになってきました。以前なら何週間もかかっていたシステム開発が、AIを使えば数日でできてしまうこともあります。

これまで僕たちが長い時間をかけて身につけてきた技術や知識の価値が、大きく変わろうとしているのを実感しています。

そんな時代に、これから自分は何を学ぶべきなのか。そもそも、プログラミングを含めたIT技術を、これからも学ぶ必要があるのか。学ぶなら今何を学ぶべきなのか。

そう思い、迷い、ここ2年くらいITを追うよりもむしろ本を読んだり歴史を勉強したりしていました。なぜなら、将来なんのスキルが役に立つか全くわからないからです。

そこで読書に全振りしている中で出会えた本だったので、刺激になりました。

これから重要なのは「問いを立てる力」と「実行する力」

本書で特に印象に残ったのは、AI時代に重要なのは、知識を蓄えること以上に「問いを立てる力」と「実行する力」だという話です。

技術や知識はAIが補ってくれます。しかし、そもそも何を問題と捉え、何を実現したいのかを考えるのは人間の役割として残ります。

そして、良い問いを立てるためには、物事をさまざまな角度から捉える力が必要になります。そのために歴史や哲学、政治、経済などの人文知を学ぶことには、大きな意味があるのだと思いました。

本書で紹介されていた、オックスフォード大学のPPE(哲学・政治学・経済学)のような教育も興味深いものでした。特定の専門分野だけを深く学ぶのではなく、社会をさまざまな視点から理解するための知識を身につけることが、これからますます重要になるのかもしれません。

常識は時代によって変わる

もう一つ、僕が人文知を学ぶことに大きな意味を感じているのが、自分たちが当たり前だと思っている常識が、決して普遍的なものではないと気づけることです。

例えば、かつての奴隷制は、当時の社会では当たり前の制度として受け入れられていました。しかし、現代では到底受け入れられないものになっています。

当時の人々が特別に愚かだったということではなく、その時代の社会構造や価値観の中では、それが常識だったわけです。

村田沙耶香さんの『世界99』を読んだときにも、同じことを感じました。社会の仕組みや環境が変われば、人々の価値観や常識も大きく変わります。そして、かつての常識人が、いつの間にか非常識な人になってしまうこともあります。

SFも歴史も、常識を疑う思考実験、思考トレーニングですね。

現状認識が非常に難しい

ただ、ここで一つ難しい問題があります。

過去の人々が自分たちの常識に縛られていたことは、現代に生きる僕たちにはよくわかります。しかし、今の自分が同じように現在の常識に縛られていないかどうかは、簡単にはわかりません。

僕自身、歴史やさまざまな本を読むことで、以前より物事を俯瞰して考えられるようになった気はしています。しかし、本当に客観的に自分自身や、自分が置かれている状況を見られているのかと問われると、正直自信がありません。

例えば、僕は今、AIの進化によってIT業界が大きく変わると考え、これまでの開発手法を捨てて、AIを活用した新しい開発モデルへの転換を進めています。自分としては、従来のやり方にとらわれず、新しいチャレンジをしているつもりです。

しかし、もっと大きな視点で見たらどうなのでしょうか。

結局のところ、僕は長年身を置いてきたIT業界という、自分のよく知っている世界の中で変化しているだけなのかもしれません。

本当はIT業界という枠組みそのものから離れて、まったく別の領域に挑戦すべきなのかもしれませんし、もっと大きな社会の変化を見落としている可能性もあります。

自分では大きな変革をしているつもりでも、さらに俯瞰して見れば、既存のビジネスモデルの延長線上にとどまっているだけなのかもしれません。

自分が今、社会全体の変化の中でどの位置にいるのか。それを客観的に認識することは、想像以上に難しいことだと思います。

歴史を学ぶことで過去の人々の思い込みには気づけても、今の自分自身の思い込みに気づくことは、ずっと難しいのかもしれません。

だからこそ、さまざまな分野の知識に触れ、自分の常識を疑い続けることが大切なのだと感じました。

日本独自の資本主義と、世襲経営の可能性

本書の後半で特に面白かったのは、日本独自の資本主義の可能性についての議論でした。

僕はこれまで、世襲経営にはあまり良い印象を持っていませんでした。

優秀な創業者の子供が、必ずしも優秀な経営者とは限りません。むしろ、初代は優秀だったけれど、二代目、三代目になるとうまくいかなくなるという話をよく耳にします。

歴史でいえば、ローマ帝国の五賢帝の時代が思い浮かびます。五賢帝の時代には、養子による後継者選びが続き、比較的安定した統治が実現しました。しかし、最後のマルクス・アウレリウスが実子コンモドゥスを後継者にした後、その治世は大きな転換点を迎えました。

もちろん、これだけで世襲の良し悪しを判断することはできませんが、血縁によって後継者を選ぶことには、能力の面でリスクがあるのは確かだと思います。

しかし本書では、日本の地方企業やアトツギ経営者に、日本独自の資本主義の可能性を見出しています。

この視点は、僕にとってとても新鮮でした。

「家」という概念が、自分の寿命を延ばす

この話を読んで思い出したのが、内田樹さんの『困難な成熟』で読んだ「家」という概念についての話です。

人間は、自分の寿命の範囲で物事を考えがちです。例えば、自分の任期が5年しかない政治家や経営者であれば、その期間に成果を出すことを優先しやすくなります。

しかし、家というものを何世代にもわたって引き継いでいくと、話が変わってきます。

自分の人生は数十年で終わりますが、家はその後も子供や孫の世代へと続いていきます。つまり、家という概念を持つことで、あたかも自分の寿命が何百年にも延びたかのように、長期的な視点で物事を考えられるようになるというわけです。

この考え方は、今回の日本独自の資本主義の話と非常によくつながると思いました。

世襲経営には、経営者の能力を保証できないという弱点があります。しかし、その一方で、自分の人生を超えた時間軸で経営を考えられるという強みもあります。

例えば、地元の雇用を守ることや、地域との信頼関係を築くこと、環境を大切にすることなどは、短期的には必ずしも経済合理的とは限りません。

しかし、100年、200年と続く企業にとっては、そうした取り組みが長期的な企業の存続につながる可能性があります。

短期的な経済合理性と社会への貢献は、必ずしも対立するものではなく、時間軸を長くすることで一致することもあるのではないか。

そう考えると、世襲経営に対する見方も少し変わってきます。

もちろん、長期的な視点を持つために必ずしも血縁が必要なわけではありません。大切なのは、自分がいなくなった後も続くものに責任を持つという感覚なのかもしれません。

日本らしさを、もっと大切にしてもいいのではないか

もう一つ、本書の後半で印象的だったのが、日本人の文化や価値観についての話です。

日本はこれまで、アメリカをはじめとする欧米の成功モデルを取り入れながら発展してきました。

経営手法や資本主義の仕組みについても、欧米で成功したものを日本に導入しようとする動きが多くあります。

しかし、そもそも欧米でうまくいった仕組みが、日本でも同じようにうまくいくとは限りません。文化や歴史、価値観が違うのだから、当然といえば当然です。

本書では、日本が欧米のモデルを追いかけるのではなく、日本独自の文化や強みをもっと理解し、それを活かしていくことの重要性が語られていました。

「さようなら」に表れる日本人の文化

この話の中で、特に面白いと思ったのが「さようなら」という言葉についてのくだりです。

英語の「Goodbye」は、もともと「God be with ye(神があなたとともにありますように)」という祈りの言葉に由来しています。

一方、日本語の「さようなら」は、「左様ならば(そうであるならば)」という表現から生まれた言葉です。

本書では、このように言葉を最後まで言い切らず、相手に意味を委ねることが、日本文化の特徴として紹介されていました。

これを読んで、なるほど、確かに日本らしいなと思いました。

日本には「みなまで言うな」という言葉があります。

すべてを明確に言語化しなくても、相手が意図を汲み取り、理解することを期待する文化があります。

欧米では、契約やルール、個人の権利などを言葉で明確にすることが重視されます。一方、日本では、言葉にしなくても共有される価値観や、相手との関係性の中で成立するコミュニケーションが大切にされてきました。

もちろん、こうした文化には良い面も悪い面もあります。曖昧なコミュニケーションは誤解を生むこともありますし、ルールが明確でないことが不公平につながる場合もあります。

しかし、だからといって、すべてを欧米型の合理性や明確なルールに置き換えることが正しいとも限りません。

言葉にしなくても相手を思いやることや、長年の信頼関係を大切にすることなど、日本の文化には独自の強みがあるのではないかと思います。

そして、こうした文化的な違いを考えると、欧米で生まれた資本主義や経営モデルを、そのまま日本に導入することの難しさも理解できます。

日本は欧米の成功モデルを追いかけるばかりではなく、自分たちの文化や強みをもっと理解し、日本らしいやり方を模索してもいいのではないか。

そんなことを考えさせられました。

人文知は、今の自分の常識を疑うための武器になる

本書を読み終えて改めて感じたのは、人文知とは、単に過去の知識を増やすためのものではないということです。

歴史や哲学を学ぶことで、今の自分が当たり前だと思っていることを疑い、物事を見る視点を増やすことができます。

例えば、世襲経営は良くないものだと思っていましたが、長期的な時間軸という観点から見ると、別の価値が見えてきました。

また、欧米の合理的な経営モデルが優れていると思っていたとしても、日本独自の文化や価値観という視点から考えれば、必ずしもそれが唯一の正解ではないことに気づかされます。

こうした発見こそが、人文知を学ぶことの面白さなのだと思います。

歴史や哲学を学んだからといって、すぐに仕事の成果につながるわけではありません。しかし、これまで当然だと思っていた前提を疑い、別の可能性を考えられるようになることには、大きな価値があります。

特にAI時代には、その価値がますます高まっていくのではないでしょうか。

AIによって「どう実現するか」が驚くほど簡単になる一方で、「何を実現すべきなのか」「そもそも何が正しいのか」を考えることの重要性は、むしろ増していくように感じます。

そして、その問いに向き合うためには、技術的な知識だけでなく、人間や社会、歴史についての幅広い理解が必要になります。

人文知とは、正解を教えてくれるものではなく、自分が正解だと思っていることを疑うための武器なのかもしれません。

これからも歴史や哲学、文学など、さまざまな分野の本を読みながら、自分の視野を広げていきたいと思います。