ペリーの「準備力」「仕事力」「プロ意識」
podcastの「COTENラジオ」のペリー来航編を聞きました。
僕はペリーについてほとんど知りませんでした。
学校で習った知識といえば、
黒船で浦賀に来た
開国を迫った
不平等条約
討幕へ
そのくらいです。
なので、僕の中でのペリーのイメージは「日本を脅しに来た外国人」くらいのものでした。
しかし、COTENラジオを聞いて、その印象は完全に変わりました。
ペリーの事前準備、仕事の段取り、そのプロフェッショナル意識。
ビジネスパースンとして学びが多すぎました。
蒸気船の導入、感染症対策、ライト兄弟
まず驚いたのは、ペリーが単なる軍人ではなく、技術革新を推進する人物だったことです。
そもそも、当時のアメリカは今のような超大国ではありません。
むしろ新興国でした。
そんな中でペリーは蒸気船の将来性にいち早く注目し、周囲の反対を押し切ってアメリカ海軍へ導入を進めました。
おそらく、
「蒸気船?ダサいな。船は帆だろ」
みたいな感じに、いつの時代も新技術に反対する輩は大勢いたようです。
それでも蒸気船を導入に成功。そしてその蒸気船たちが日本に来ることになるのです。
さらに船内の衛生管理も徹底し、感染症対策にも力を入れていたそうです。
今で言えば、新しいテクノロジーを組織へ導入する改革者のような存在だったのでしょう。
海軍の人間でありながら飛行機にも興味を持ち、後にはライト兄弟の弟から操縦を学んだという話まで出てきます。
感動ですね!まさかここでライト兄弟と繋がるとは!
ペリーとライト兄弟って、同一時代の人たちだったのか!
僕は「黒船の司令官」というイメージしか持っていなかったので、本当に驚きました。
圧倒的な事前準備
しかし、最も感動したのは別の部分です。
それはペリーの圧倒的な事前調査です。
日本遠征の前に、日本に関する本を集めまくったそうです。
その総額は現代価値で7500万円相当とも言われているそうです。
もちろん単純に本代だけではなく、おそらく
資料収集
翻訳
情報整理
取り寄せ
なども含まれているのでしょう。
それにしても凄まじい金額です。
さらに本を読むだけではありません。
日本近海を航行した人々への聞き取り調査も行っています。
今で言うインタビューです。
結果、ペリーは、
日本人はどんな民族なのか。
幕府とは何なのか。
天皇とはどんな存在なのか。
それらを理解していたそうです。
江戸幕府と朝廷の微妙な関係や、昔の源頼朝や北条政子のことも把握していたようです。
ほんとにすげー。。ネットがない時代にそこまで極東の島国の情報をそこまで得ることができるのか。。
ここに本当に感動しました。
我々は今、インターネットで簡単に情報を得られる時代に生きています。
それなのに十分に調べずに仕事を始めてしまうことがあります。
しかしペリーは、地球の反対側にある国へ向かう前に、考えられる限りの準備をしていた。
「『仕事』とはここまで準備して挑むものなのか・・・」
そう思わされました。
日本側もまた情報戦を理解していた
面白かったのは、日本側も同じだったことです。
ペリー来航後、幕府はジョン万次郎を呼び寄せます。
ジョン万次郎はアメリカで教育を受けていたので、かなり詳しくアメリカを知っていたようです。
幕府は彼から、
アメリカの政治制度
大統領制
議会制度
経済
文化
を学びます。
つまり幕府も、
「まず相手を知る」
ということをやっていたのです。
鎖国していた日本ですら情報の重要性を理解していた。
僕ももっと事前準備しよう。。
ペリーは戦争する権限を持ってなかった
もう一つ意外だったのは、ペリーは実は戦争できなかったという話です。
黒船外交というくらいだから、
「交渉に応じないなら戦争でボコボコにしてやる!」
くらいの気持ちで来てると思っていました。
しかし実際には、ペリーは戦争する権限を持っていませんでした。
(当時のアメリカは大統領に戦争権限はなく、議会での承認が必要だったためだそうです。議会で反対されそうだから、とか。)
なので、もし戦争を始めれば問題になる。
だから彼は脅しながらも、本当に撃つことはできない。
つまり、交渉そのものが巨大なハッタリの上に成り立っていたのです。
これは本当に面白い話でした。
強そうに見える側も、実はギリギリの綱渡りをしている。
経営にも似ているなと思いました。
日本支配ではなく物流革命だった
そしてもう一つ、僕が完全に誤解していたことがあります。
それはペリーの目的です。
僕はなんとなく、
「日本を植民地化しに来た」
くらいのイメージを持っていました。
しかし本命は日本ではなく中国でした。
アメリカが欲しかったのは、
ニューヨークから中国へ向かう最短ルートです。
蒸気船には石炭が必要です。
だから補給基地が必要になる。
その補給基地として、日本や琉球が重要だったのです。
つまりペリーの目的は、
「日本を征服すること」
ではなく、
「中国へ素早くアクセスするための物流ネットワークを作ること」
でした。
歴史を学ぶと、当事者たちが見ていた景色は僕たちが想像しているものと全然違うことに驚かされます。
大名や民から意見を公募する幕府
ペリーが最初の来航を終えて帰国した後、幕府は大統領からの親書をどう扱ったのか。
これも驚きです。
幕府は有力大名たちに意見を求めます。
さらに驚くことに、その内容を広く公開し、民間からも意見を募ったそうです。
私はこの話を聞いた時、
「え?そんなことしてたの?」
と思いました。
現代で言えば、国家レベルの外交問題についてパブリックコメントを募集しているようなものです。
現代でもなかなかうまくできないのに。。
もちろん幕府が追い詰められていたからという側面もあるでしょう。
しかしそれだけではなく、コテンでもコメントしてましたが、
「大きな決断には社会の合意形成が必要」
ということを理解していたようにも感じました。
人を動かすことは、単純に権力だけではできません。今の会社経営でも同じですが、人は納得しないと動かない。
江戸幕府もその難しさを理解していたのだと感じました。
交渉は思った以上に論理的
歴史の授業では、
黒船が来て、
幕府がビビって、
言いなりになった。
そんなイメージで理解していました。
しかし実際の交渉はもっと論理的な印象でした。
例えばペリーは、
「アメリカは日本人漂流民を助けているのに、日本は外国船を追い払っているではないか」
と主張します。
すると日本側は、
「それは誤解だ」
と反論します。
当時は外国船を追い払う法令があったからそうしていただけであり、外国人を助けた事例もある。
そして、
「外国人を受け入れることと、貿易をすることは別の話である」
と論じます。
私はここがとても印象に残りました。
感情論ではないんです。
お互いに論理で話している。
そして相手の言い分に一理あれば認める。
ペリーも、
「確かにそれは別の話だ」
と受け止めています。
私たちは黒船来航を、
「脅された日本」
という構図で見がちですが、実際には、臆すことなく非常に高度な外交交渉が行われていましたようです。
これを聞いてると「幕府、がんばってるじゃん!」って思います。
それなのに、幕府は弱腰で不平等条約結んでダメだ、って評価され討幕に流れていくのはちょっと残念に感じてしまう。
ペリーは飲みニケーションの重要性を理解していた
そして一番面白く学びが多いのはここです。
交渉期間中、幕府側はペリーたちに大量の料理を振る舞います。
300人前とも言われる豪華な料理です。
刺身だけは不評だったそうですが、それ以外は好評だったようです。
すると今度はペリーが船へ招待します。
ここが本当に面白い。
ペリーは最初から、
「交渉だけでは足りない」
と考えていたようです。
だから、
一流シェフ
音楽隊
酒
まで事前に用意して日本に来ている。
つまり、
交渉がうまくいくために必要なものを全部持ってきているんです。
最初から「飲みニケーション」するつもりじゃないと、シェフや音楽隊を連れてくるわけがない。
その重要性を分かった上で、きっちり準備・計画している。
しかも普通に考えたら、当時の列強からみたら日本なんて最果ての地の蛮族だと見下してもおかしくないのに、そうは考えないのがペリー。
目的意識、プロ意識高い。。
そして、盛り上がった船員たちは日本人と仲良くなりすぎてしまう。
現場は大盛り上がり。
部下たちは、
「こんなに仲良くして大丈夫なのか?」
とさえ思ったそうです。
しかしペリーは怒りません。
むしろ、
「条約が結べるならキスしてもいい」
くらいのことを言っていたそうです。(これコテンで言ってたけどほんと?笑 名言すぎる。)
私はここに本当にプロフェッショナルを感じました。
プライドとか感情ではなく、
目的達成のために何が必要か。
そこだけを考えている。
接待でも何でも使う。
相手を理解する。
信頼関係を作る。
それが成功確率をあげることを知っている。
仕事とはこういうことなのかもしれないと思いました。
ペリーもまた必死だった
黒船側は強者に見えます。
しかし実際にはペリーも追い込まれていました。
莫大な予算。
長期間の航海。
2000人近い乗組員。
自身の病気もある。(リウマチとかがあった模様)
失敗すればキャリアは終わる。
さらに戦争もできない。
つまり彼は、
圧倒的優位な立場に見えながら、
実は失敗が許されない極限状態で戦っていたのです。
この話を聞いていると、
交渉というのは強い者が勝つのではなく、
準備と覚悟が重要だと感じます。
結果として戦争は起きなかった
そして最終的に、
双方は落としどころを見つけます。
貿易はまだ認めない。
しかし下田と函館を開港する。
お互いが少しずつ譲歩した結果でした。
これは、
「不平等条約を押し付けられた話」
ではなく、
「戦争を回避するための高度な交渉」
ですよね。
もちろん後の歴史には様々な評価があります。
しかし少なくともこの時点では、双方とも真剣に戦争を避けようとしていたように感じます。
そして最後に現れる吉田松陰
そして物語の最後に突然現れるのが吉田松陰です。
ここで私は鳥肌が立ちました。
なぜならコテンラジオの西郷隆盛編を聞いた後だったからです。
歴史の人物たちが急につながるんです。
吉田松陰はペリーの船に乗り込み、
「アメリカへ連れて行ってくれ」
と頼みます。
留学したい。
技術を学びたい。
世界を見たい。
日本のために必要だから。
当然、鎖国中の日本に置いてこれは違法行為。
しかし松陰はそれを分かった上で行動してしまう。
もちろんペリーは断ります。
せっかく幕府との交渉がまとまりそうなタイミングで問題を起こしたくないからです。
しかし私はこの場面で、
ペリーと松陰の対比がとても面白いと思いました。
ペリーは徹底的に調べる。
準備する。
リスクを計算する。
一方で松陰は、
まず行動する。
まず飛び込む。
もちろん松陰も勉強家です。
しかし行動への振り切り方が異常です。陽明学の読み過ぎですね笑
でもそんな行動がベンチャーっぽくて僕は好きです。
そして、このペリーとのやり取りの後に松陰が詠んだのが、
「かくすれば
かくなるものと知りながら
やむにやまれぬ
大和魂」
です。
捕まることは分かっている。
失敗するかもしれない。
それでもやらずにはいられない。
私はこの歌を聞いて、
ペリーの「準備の力」と、
松陰の「行動の力」は、
どちらも偉大なのだと思いました。
私がペリー編から学んだこと
ペリー編を聞いて私が学んだのは、黒船でも開国でもありません。
準備の力です。
徹底した情報収集。
圧倒的な事前調査。
人との対話。
飲みニケーション。
相手理解。
そして行動。
ペリーも幕府も、驚くほど真剣でした。
歴史を学ぶと、結局最後に差がつくのは才能ではなく、
どれだけ準備したか。
どれだけ行動したか。
そこなのかもしれないと思わされます。
